「『セロ弾きのゴーシュ』の「第六交響曲(楽)」―ベートーベンの「田園」である意味―」

『六つの心内語による『春と修羅』序の世界』(私家版)

『新訂『春と修羅』序読釈序はカント哲学のパッチワークだった』

「70、雲の海の上に凍りし琥珀のそら巨きとかげは群れわたるなり」

「66、あまの川ほのぼの白くわたるときすそのをよぎる四ひきの幽霊」

「53、いまいちど空はまつかに燃えにけり薄明穹のいのりのなかに。」

「38、明滅の海のきらめきしろき夢知多のみさきを船はめぐりて。」

「3、ホーゲーと焼かれたるまゝ岩山は青竹いろの夏となりけり」

『日本の詩の諸相』

「宮沢賢治「〔フランドン農学校の豚〕」ディストピア論―〈賢者の石〉としての豚のカニバリズム―」